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2009.03.30

出荷しちゃった


昔から、日記をつけたり、
都会の街などで見つけた
洒落たデザインのチラシを収集したり、
また、洒落た店やただ安いだけの店の名刺やマッチを
片っ端から収集したりして、

それが丸ごと残っているので引っ越しが大変である。


また過去の私はそのチラシやマッチにその日あったことを
日記のように書き込み、
その日訪れた店や人との記憶を定着させようと励んでいるのである。


マメである。


マメに記憶の定着をはかるような人間だな、コイツ。
と、他人のように自分のことを思う。

荷物が運び出された後の、伽藍とした部屋である。

呆れるほどガラクタばかりの家であった。
しかし思い出だけはまた豊かであった。

「捨てられないもの箱」みたいなものまたできた。これがややこしく、また次の部屋をこ狭くするのだろう。

過去を思い出す鍵のようなものである。
別にそれがあっても無くても構わないと思う。

ただ、今捨てられないだけである。

センチメンタルが溢れ出てこないうちに、ダンボールに蓋してガムテープで閉じる。

思い出を出荷する人みたいだな、私。
などと、思う。

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2009.03.25

ものすごいボリィウム

もう二週間も前から夜、家のスグ横の道路で
ガス工事をやっていて、
ものすごい音である。

その工事が長引くということで、以前、
工事の会社の人が菓子折りを持って家へ着てくれた。

持ってきてくれた時、
「ものすごい音ですね」
と言った。
イヤミのつもりではない。
ただものすごい音だったのでそう言ったのだ。

実際不快を通りこし、
ちょっとおもしろいくらいものすごかったので、
「ものすごい音ですね」
といったときの私はちょっと笑っていた。


今思えば
それが逆に怖かったろうと思う。

菓子折りは「田舎パイ」
お歳暮並みのボリィウム。
もうすぐ引っ越すこの家に暮らすのは、
私、女ただ1人。

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舞い戻って駅

昨夜、大学時代のバイト先の店長と
大阪で飲んだ。

店長は今、滋賀で自分の店を開いている。
時々大阪の道具屋筋まで店のものを買いにくることがあり、
その時はに、
「ちょいと君、何してる。一緒に飲まんかね?」
と誘ってくれるのだ。

飲食を業としている店長だもんで、
大阪でうまいと言われる店へ連れて行ってくれる、
いつもは食べぬようなものも食べさせてくれる。
そうして、「飲め飲め」と言っては飲まされる。
ほほほ、嬉しいやん。

でも昨日は飲み過ぎたな。
セーブしたつもりだったがビール熱燗日本酒焼酎チューハイ
遠慮することなく飲み、こんなに飲んだん久し振り、
愉快、と満点の笑みだったのもつかの間。
帰りの電車で二駅乗り過ごしてしまった。
ほんとにこんなことは久し振りである。

しょぼくれた2つ先の駅にタクシーなど通っているはずもなく、
歩いて一つ駅戻って北野田、そこからタクシーに乗ろうと決めた。

そうして自分の降りた駅から15分程歩いた、
一つ前の駅へ戻った、
ここはもう北野田だ、と思ったら、
なぜかそこは自分が降りた駅だったのだ。

このからくりが今でもようわからん。
とにかく一つ駅を戻ったと思ったのに、
そこはじぶんが降りた駅。
狭山駅で降りてちゃんと歩いて一つ前の駅に戻ったのに、
狭山駅についてしまったのだ。

誰か教えて、私どっから来たの?
こんなこと、初めて。

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2009.03.21

もとめえづき

今現在、殺し屋1という漫画を読んで、
吐きそうになっている。

名越康文氏に興味を抱きはじめたのは
もう1年以上も前からのことである。
その間、ホムンクルスを読んではまったり
ルソンの壷」を見て氏のコメントに深く頷いたり
ココラボ(携帯サイト)でアルケを診断したりしていた。

そのような、時折激しく、時折穏やかな私の氏への興味は
今が絶頂かもしれない。
なぜなら、この四月から氏が私の母校、京都精華大学で、
講師を務めるという情報を得たからである。

いえす。共時性
摩訶不思議アドベンチャー。
公開講座を期待して、私、待っていますという心境。

そうしてその共時性が輪をかけて大きくなりますようにと、
思う心は乙女、買う漫画はバイオレンスの極地、というわけで
吐きそうになっている。

氏が原作ブレーンを務めたという「殺し屋1」は、
"読者に「痛み」を感じさせるような意図的な暴力描写が特徴"
らしい(Wikipedia調べ)。

全10巻で、私が今日読んだのが1、2巻。
氏が原作ブレーンを務めているのは4巻かららしい。

シンクロニティー求めてえづく。
涙ぐましい努力である。

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2009.03.19

裸鏡プレイ

日常のささやかな笑いとして
メガネをしたままシャワーを浴びる、
というのがある。

もちろん、ワザとではない。
ついうっかりしていただけのことである。

しかし一人暮らしの一人きり。
裸にメガネの格好でシャワー浴びてても、
なんのプレイにもならん。

笑いのやり場もないので、ただ
そっとメガネを外すだけである。
その時に、なにかもったいないような気持ちに
なるくらいである。


今月いっぱいで一人暮らしも終わりである。
勉強もせなあかんので、実家へ帰ることに決めた。

そうなれば、裸にメガネで風呂へと向かう私を見て、
誰かが止めてくれる。
「ちょっとアンタ!メガネっメガネっ」
などと言ってもらえれば、
私は嬉しい。
「あぁ。しまった、しまった。」
などと言ってわっはっは。
もぉーなにしてんのよぉー、
などというやりとり、たまらん。

しかし、いくら実家だからと言って、
さすがの私も部屋から風呂まで裸で移動するわけないので、
結局実家へ帰っても、
誰にも見つからない笑いなのである。

ただそっとメガネを外して、
その時に、なにかもったいないような気持ちに
なるくらいなのである。

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2009.03.18

ぞなもし

忙しいのかなんなのか、
他に気を取られていることがいろいろあってか、
更新を怠っている、現在。

そうしてこの日記、
書かないでおれば気持ち悪いが、
書く時間をとるのもサボっているという状態で、
いかん。
いかんなぁ、わたし。

このような時に思い出すのはいつもイチロー。
365日イチローはトレーニングや素振りを
しない日はないのだとかなんだとか(ややあいまいな記憶)。
思い出したイチローの顔は凛々しい。
その凛々しいイチローの顔を思い出してる
私の顔はふやけている。
だらしがないのである。
しまりがないのである。

というわけで、という訳ではないが、
月末には引っ越しである。
実家へもどるのである。
心境や身辺の変化がある春。
凛々しい顔を、目指すぞなもし。

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2009.03.11

ゲルラブ

ゲルインクのボールペンがスキである。

私の勉強のときの態度、
ゲルインクのボールペンを使っているときなら
背筋がこうシャンとね。伸びて。
きっと神様が私の勉強しているとこをそぉっと、
私に気づかれない様に細心の注意を払って、
でもよく見えなかったらイヤだから
わりと窓に引っ付いて外から見ていたら、
「あら勤勉な女性。」
とか思うやろね。

でも普通のボールペン使って勉強してること見られたら
もう終わり。
それだけで
「落としてやる!」
なんてことになりかねない態度、姿勢、
もうグニャグニャ。

このゲルインク、切れたらどうしよう、と、
ビクビクしながら日々、姿勢よく、字を書く。
シュッシュッ。

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2009.03.09

熟乙女

「料理は愛情」って言葉、ありました。

ありましたよね?
ええ、(ええ)、ありました。

それでその「愛情」っていうのを、
私は昔、こう、包丁で人参とか切る時に、
一個一個、「おいしくなぁれ」
みたいに念を込めて切ったりすることだと思ってました。
さらにその人参を他の野菜とスゥプに入れて、
調味の料を入れてかき回したりする時に、
「おいしくなぁれ」
などと呪文を唱えたりすることだと思ってました。


しかし違いますな。


今考えてみれば、明らかに違います。
「愛情」というのは、
こう、一個一個人参を切る時には、
食べる人が食べやすい大きさに切ったり、
調味の料を入れる時には、
食べる人の好みの味になるよう調節したりすることでした。

「おいしくなぁれ」も別にいいけど、
それだけではただの乙女です。

"食べる人のことを考える"のが「愛情」だったのだと、
込めたり唱えたりするより、
かけるひと手間が「愛情」なのだと
気づいた私は脱乙女。

あぁ。悲しいかな、脱乙女。
しかしいつの日かその大人な「愛情」が
上手くできるようになったら、
戻ってくるのだ、熟乙女として。
目指せ熟乙女。

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2009.03.08

回し蹴り未遂。

友人のウエディングパーティー、
そのような華やかな場所へ
ぴらぴらしたお洋服着て
お出かけ。
ええやん。気分転換になるやん。
教育に関する法律、
じゃまくさい言い方すんねんな、みたいな文言、
ぶつぶつ言うのも午後三時まで。
行きましょ行きましょ
いい出会いがあるやも知れぬ、
そのような心隠さず
京都へ出かけた。

会場の店に行ったら
やったらごつい男達がたくさん。
とにかくみな分厚くて、
ウォウウォウ、といったような雰囲気。
それとないリサーチの結果、
新婦の旦那、趣味、アームレスリング、無職。

おそらくその関係の人達がたくさん
(無職はそう沢山じゃないはず)。
ちょっと跳び蹴りしたくらいじゃ
ビクともしないぜ、この人達。
そういう人達に、
実際ちょっと跳び蹴りしてきたかったような気もする、
回し蹴りでもよかったようなきもする。

でもそういうウォウウォウな男気見たら、
またこっちはこっちで文言ぶつぶつ言いたくなって、
しゃらしゃらと飲むだけ飲んで、
ちゃらちゃらと友人としゃべって、
さらさらのドレス着た新婦、かわいいな、とかそんなんで、
たいした色気も発揮できず、
帰りの京阪のったら
明日朝起きて、ぶつぶつ言うのがちょっと待ち遠しい気分。

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2009.03.06

既に答えが焼きそばが

「数学は唯一答えが問題に書いてある。」
とDが言った。
ストーブを囲んでいた。
二年の男子Iがそろそろ入試に向けて
勉強始めやなな、というような話をしていたのだった。

それで、私も今現在試験に向けて勉強をしているものだから、
「あの頃嫌いだった数学をもう一度勉強してみたい。
(いまならきっともっとできるはずだわ)」
と希望的観測のところは心の中で言ったら、
もう卒業した三年のDが
持参したトップバリュの焼きそばを食べながら言った
(※ここは美術室です)。

Dに言わせると、数学以外の他の教科は
問題用紙には問題が書いてあって、
答えは書いていない。
しかし数学は「=」と書いてあるのだから、
式はつまり答えである。
答えはもう書いてあるから、
自分なりに「=」なものを
探せばいいのだ、とのことであった。

トップバリュのやきそばの麺が
あまりほぐれていないのが気になっていたので、
あやうく聞き流してしまいそうなところであったが
私はDのこのような理屈が実はすごく好きなのである。
理屈と言うか、考え方、捉え方が逆なのである。

「問題を解く」というのではなく、
「答えがある」というように問題を捉えているのである。
"既にある答え"に、どうやって辿り着くか。
そのように数学を考えていて、
私は、そのような「考え方」が面白いと思う。

おそらく美術や表現でも同じである。
"既にそこにあるもの"
に、アプローチしていく行為は創造的である。
この世の中を、探求するような姿勢である。

※"既にそこにあるもの"という本を
大竹伸朗さんが出しています

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2009.03.04

胃 in あまり飯、ポテトフライ。

ポテトフライを食べながら勉強をする、
そのような行為がなんとなくしたくなり、
そのような行為をしている自分を
ぼんわり頭に思い浮かべたら、
もうしたい→する。
みたいな思考回路になり決行を決意する。

しかし別にお腹がすいているという訳ではなく、
むしろつい小一時間程前、食堂の"あまり飯"で
空腹を満たしたばかりである。
食堂の"あまり飯"は真にじゃんきーなふーどで、
なにの味付けかわからない炒め飯に
売れ残りの唐揚げや売れ残りのカツなどがのっけてあり
それにマヨネーズとソースをかけて食すという
クラブ終わりの生徒の腹を満たす為だけにあるような
食べ物である。

しかし私、この品をよく食すのである。
ものすごくお腹にどっしりきて¥110。
残飯的な見た目も許せる安さとボリュームで、
空腹時の救世主(メシア)である。

それを食した後なのに
ポテトフライが食べたくなるなんて。
いかんやないの、
食生活が乱れているやないの、
しかしマクドへ。
「もうしたい→する」
の回路が思いの他強固ナリ。

しかしマクドは改装中であった。
入れなかった。
悲しかった。

こうなるとなにがなんでも「もうしたい→する」
を決行したくなるのである。
近くのフレンドリーに行ったのである。
ポテトフライ、
「山盛りポテトフライ」しかなかったのである。
めちゃ山盛りだったのである。

そうして半分意地で平らげた。
ほしたらお腹が痛くなって
下痢になっちゃったよ。

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2009.03.03

開眼準備に備えるスタンス

私が定期的にチェックするサイトの一つに、
ほぼ日刊イトイ新聞
があるのだが、イトイさんは
めんどくさいくらいいろいろ言うオヤジである。
自分の身の回りに起こるいろいろのことを、
大切なものにしようとし過ぎているので
時々笑う。

今年、毎年使っていた手帳が
売っていなかったので、
ほぼ日手帳、いいかもしんない。」
と思ってロフトで見ていたら、
手帳の趣向が凝らされ過ぎている。
もう、なんにも私が書き込まないうちから
毎日が大切にされている。
白紙なのに内容ずっしりであったのだ。
それでちょっと笑って買うのをやめた。

イトイさんはめんどくさいくらいいろいろ言う。
そうしていろいろいうてめんどくさいから、
こっちも半目状態でぼんやり聞いている。
でも時々ハッと開眼する程「真理じゃ。」
そのようなことを言うので、
こっちも真理がやってきたらはしっ、
とそれを捕まえるようなスタンス。
そのようなスタンスで
イトイさんの話を聞いている。

というか、読んでいる。

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2009.03.02

めざせ平気人

教員採用試験にむけて
勉強をしているのだが、
覚えた端から忘れていく。

勉強が趣味のような人間、
自他ともに認める資格マニアの姉に言わせると、
暗記は「忘却との戦い」らしい。
なるほど。
特に目新しい言葉ではないが、
心に響いたので"名言ストック"に入れておく。

アウトプットとインプットをとにかく繰り返す。
ぶつぶつ言うて、怪しい人である。
しかし、それが一番覚えるのだという。
もうこうなれば
「めざせ、怪しい人!」
である。
いや、
「めざせ、怪しい人とと思われても平気な人!」
である。


以前と同じ様に、ブログをまた毎日
書いていこうと思う。
今までよりもっと雑記にちかい感じに
なるだろうと思う。

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2009.03.01

気づけば素股感覚

昨日の夜寝る時、スウェットに着替え
ふとんに入った。

しかし朝起きたら脱げていた。
脱げていたというよりはいてなかった。
毛布のぬくもりが肌に妙に懐かしいと思ったら、
素股であったのだ。
くちゃくちゃになったスウェットが
ベッドのはしっこで丸まっていた。

ぞぞ。
恐ろしいことであるよ。
このようにして私はいつも
気づけばズボンを脱いでいる女かも知れんのだ。

男性の皆さん、
もしも私と一緒のふとんに入ることがあって
私が急にズボンを脱ぎだすようなことがあっても
誘ってる訳ではないので悪しからず。
ただ深く眠っているだけの話なのです。

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