« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

2009.02.26

卒業式、再び。

卒業式は、妙に晴れがましい気持ちで過ぎた。

思えば去年の卒業式は泣いた。
病気で亡くなった生徒が、二名いた。
本来なら卒業するはずだったその二名の名が、
卒業賞証授与の時に読み上げられ、
学年全員が、代返したのだった。

亡くなった生徒との思い出が
卒業式という良き日によみがえった。
彼があの病気にかからなければならなかった理由など、
何もなかった、と、また思った。
脳に障害をもった彼が描いた自画像が、
亡くなった後教室に残った。
「存在の残し方」を教えている。
その一端を担っている、
その感じが私の中に根付いたのは彼がいたからである。


今年は「先生、今日はスカートですね。」
ともう(気分としては)100人くらいに言われ(実際は10人程)、
「先生、今日はどうしたん?(スカートはいて)」
とまた100人くらいに言われてうっとおしかったのだが
まぁけれどもともかく、ちゃんとした恰好してよかった。
そうして送り出してあげたかったのである。
華やかに。餞に。

卒業していくみんなのほうでも、考えている。
「出て行く前に、しておくこと。」
それを遂行している。

人に礼を述べている。人と写真を撮っている。
人にプレゼントをしている。人にメッセージを書いている。
人に告白している。

人にメッセージを書いてもらっている。
人に写真を撮ってもらっている。
人に礼を述べられている。
人にプレゼントをもらっている。
人に告白されている。

あぁその「人」が私であり生徒達であったのだ。
少しだけ素直になって、伝えたいことを伝えれたような、
伝えてもらったような、
握手した手があったかかったような、
かけた言葉があったかかったような。

ええね。卒業式って。
明日ぐらいに、もっかいしたいね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.02.24

前日

明日は卒業式である。

送り出す側の卒業式も、
今年で六回目である。

つくづく思うのだが、「送り出す側」というのは
どこかまぬけである。
背筋伸ばして送る側に拍手、
そうして希望に満ち満ちた言葉をかけるのだが
淋しいのである。
かける言葉のたどたどしさよ。

さっそうと手を振る時には笑顔、
それなのに彼らが去った後の表情の情けないこと。
鏡を見ないでも明らかである。
眉毛が垂れている。

過ごした土地を後にし未来へ向かう彼らと
ここに残る自分との対比。
動かない。その事実だけで
自分がなにか古臭い人間のようである。

いくら感謝を受けてもぬぐえないまぬけ。
どうあがいても無理である。
明日私はその役なのである。

なので精一杯演じようと思う。
そうして演じきれない部分がぽろり、ぽろり、
出てしまったらそれはそれで、
別に舞台じゃないのだから失敗ではない。

だけどそのぽろりが、
どれくらいの分量で出てくるのかわからないから、
「アラ、アラ。」なんつって思いのほか大量に出ちゃって
情けないのはバレたくないから
淋しいって悟られたくないから
言葉数とか少なくなるのかな。
ありきたりなことを言うのかもな。

まぁいいや。
それが「式」という日。
今日はその前日。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.02.20

そういつも、卵の味方。

内田樹の研究室を見て、
村上春樹のエルサレム賞のスピーチを知る。

内田氏のその日の記事も読む。
それで、
「この考え方や行動が正しい。」
ということなど、この世のどこにもないのだと気づく。
ただ自分にとっての正しさで人の心が動く、
そのような現象が
あるだけなのだと思う。


沖縄の友人Mから手紙が届いた。
現在沖縄では桜が見頃だと書いたある。
それで、
見たことない沖縄の桜の風景を思い浮かべて、
それがうまくいったのか、
なんともいい風景を思い浮かべることができた。
Mがずっと好きだったピアニストのライブを
主催するらしい。

手紙読んで小走りで階段駆け上がった。
それから急いでパソコンの電源を入れ
勢いつけてストーブのスイッチ入れたけど、
別にそのように勇む必要はないといえばない。
ただなんだかるんるんした結果の行動である。

もう何年も前にMからもらった
そのピアニストのCDを聞いたのは、夜になってから。
雨が降ってから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.02.17

よくわからないさらだ

日曜日は夜から友人Hと会い飲んだ。

Hは、会えばいつも私の服装や髪型を
褒めてくれる。
自分の見た目が褒められるのは、
自分の中身や性格を褒められるより
単純に喜べるもんだ。
人の容姿に関して批評的なことばかり言っている
男子や女子がここのところ多いので、
私もみんなもHを見習えばええんちゃうん。
ほんだら世の中よくなるんちゃうん。

話は変わるけど、
居酒屋入ってサラダ頼んだら
「デカっ!」みたいなことって、ありませんか。
今回も、聞いてないよという程デカイそれ。
人はみな人に、野菜を食わしたいのかもしれない。
しかもそのサラダ、山のようにこんもりと盛られた
野菜の一番下に
温泉卵と蕎が埋もれてある。
なにをどう食わしたいのか
よくわからないさらだ。

「このサラダを作る人は、
まず一番始めに、温泉卵を割り入れるのであろうな。」
そんなことが脳裏に浮かぶ。
それを少し、たのしそうだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.02.15

はじまりはいつも四月

私は四月始まりの手帳を使っている人間である。

それからこの時期、本屋やLOFT等で
手帳売り場が賑わっている中に混じって、
神妙に手帳を吟味しているふうに見えながら、
実は心の中で
「やっぱ手帳は四月始まりだよね。」
と、一月時始まりの手帳を使っている人達に
密やかな対抗意識を燃やしているような人間である。

で、ここ何年か私がずっと使っていた、
単なるカレンダーみたいな月間の予定しかない手帳があるのだが、
そのシリーズがもう売っていなかつた。

そうなるととたんに困るのである。
もうこれと決めて、自分の中で定番化しているのに、
それがなくなる。
もうピンポイントで、手帳売り場なんかに行っても
迷うこともなく「コレ」
と買うものが決まっているのに、それがない。
それがどれだけ面倒か、
ちょっと聞いてほしいのである。

自分にしっくりくるものや、
長い間使うような目線で物を買う。
そういうときは単純に時間がかかるのである。
また新たな定番を開発するのに、
手帳の場合はとりあえず最低一年かかかるではないか。
あぁん、もう移り変わりの激しい現代がにくい。
あぁん、もう、それから手帳ってわりと高い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.02.14

水曜ワークショップ

こないだの水曜日、
このようなワークショップへ行ってきた。

映像を見て思い出したことを、
参加者同士で語るワークショップ。
映像を一つのコミュニケーションのきっかけにしようという試みである。

知らない人同士の間で思い出を語る時、
その会話はどうしてもぎこちなくなる。
けれど誰かの思い出話に自分の思い出を重ね合わせることができたり、
何かの瞬間に「それ、わかるなぁ。」などと共感できたりした時、
妙にゆるやかな空気が流れた。

このようなワークショップに参加すると、
自分が思い出を糧に生きていることをつくづくと感じる。
不思議なことに、その糧はちっとも減らないし、
ある瞬間に今までと違う視点で見れたりしたら、
とてつもない宝物を既にもっている自分に気づいたりする。

いっつもなにか、ないものを欲望している自分は
なんかちゃうのかもしれん。
自分の中に既にあるものを、
取り出していくような仕事がしたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.02.10

勉強、始めました。

どういうわけだか自分の未来について考える時、
私はいつも必ず自分の過去を振り返っている。

なにかある時に自分が選択したことや、
人から言われたこと、
実際に行動したことや経験したことなどを
ことあるごとに思い出している。

そうして思い描く未来については
憧れや理想を描いたり
なにか空想的にありえないことを夢みたりもしているのだが、
同時に思い出している過去との結びつきが
一番強く一致している未来に、
次第、次第に引き寄せられていくような感じで
進む道を選択しているように思うのである。

もしかするとそれは、
自分自身を納得させる為に
自分が都合良く思い出している過去なのかもしれないし、
自分の未来に対してなにか理由付けがないと怖いので
いいわけのように作り出している
過去との結びつきなのかもしれない。

けれど、すとんと、
妙に腑に落ちる未来への決定というのは、
たいていは無意識に、
そのようにしてなされてきた様に思う。

長い間考えて出した決断である。
最近私は教員になる為に
勉強を始めている。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009.02.09

びっくりすると言ってもそれはそれで表情にも出ないこと

最近びっくりしたことに、
無印のコットンがやわらかかったことがある。

たまたま立ち寄った無印良品で
「あ。コットン切れてたわ」
と思い出し、いつも愛用している資生堂のこのコットン
裏切るような気持ちで買ったのがものすごくまふまふで、
朝などにそのコットンをつまむ時は軽く脱力、
さらになんだかいいのは、
まふまふしているそのコットンに
化粧水がしみ込むときで、
水分を含んでしゅぅんとかさが減るコットンを見ると、
なにやら小動物の小さな命を扱っているような気分になり
コットンを取り扱う手つきが妙に慎重になる。


最近びっくりしたことに、
ポプラというコンビニに売っていた
「ツナしょうゆマヨネーズおにぎり」が
まずかったことがある。

まずかったというか、
お金がない時に家にあるものでどうにかしてこしらえた
貧乏食という感じがして、
独身時代を思い出す、というような気分になる(まだ独身だけど)。

そうしてまた飼い猫になにもやるものがない時に
家にあるものでどうにかしてこしらえた餌という感じがして、
それが売られたり買われたり今現在
自分が食したりしている事態が
なにか危機的であると思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.02.07

今日も表裏一体

ビールというのは飲んでるときはウマイ。
ウマイナァホントウニ。という具合に飲んでいるのに、
次の朝とか正気になって、
缶に残った飲み残しのビールを
流しにトックントックンあけてるときの、
あの邪悪な匂いはなんなんだろうと思う。

トックントックンやってる最中に
ぬるい、炭酸の抜けたビアの香りがプンとすると、
「くさ。」
そのように顔をしかめること必至。
これ飲んで
「ンフフ。」
などと言ってた昨日の自分が妙にふしだらに思える。

煙草も、吸ってるときはよくても、
吸いガラのあのとてつもない有害さは
一体何なんだろうと思う。

口にしているときと
片付けるときの
快不快のギャップが激しい酒と煙草。
快楽と、嫌悪、罪悪感は表裏一体であるな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.02.04

わほほ。繰り返す。

高校三年生の卒業が近づいている。

のと同じ時期の今、
春休みに入ったとかで、
去年の卒業生がパラパラと学校に遊びに来る。

高校生がいてなにやら制作したりしている教室。
それを見て卒業生はこのように思うのではないか。
「あぁ、自分達もこのようだったな。」
またこのように思うのではないか。
「自分はこのようだったかしら?」

大学生や社会人になれば、
「高校生」というのがどういう存在なのか、
なんとなく俯瞰できるようになる。
まだ、外の世界を何も知らない
妙に幼い存在として映っているんちゃうかな(予想)。

そうして、高校生などを目の当たりにしつつ、
「今になって思うこと」
などの話になる。
「あの時本当はこう思ってた」、
とかいう話になったり
「こんなことあったの覚えてますか」
という話になったりする。

それがほんとに面白い。

それに妙にしみじみしてしまって、
私は生徒とあの時のことを振り返る関係になることを
もう現役のときからずっと、望んでいるのではないか、
と思う。

人と過去を共有しているというのは
なんて面白いのだ、わほほ、などと思って、

わほほ。

わほほ。

などと独り、繰り返す。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.02.03

エコ。用紙削減。

なにか用紙にものを書く時に、
自分は必ずと言っていい程
一回は書き間違うタイプの人間で、
一回書き間違うと必ずや
二回目も失敗するというような性質も
持ち合わせている。

そうして上手い具合に書き間違わなかった場合でも
最後の捺印が必ずと言っていい程
逆になるようなタイプの人間で、
たとえ逆にならなくても
かすれたり、押す位置を間違えて
叫ぶなどする生産性の低いタイプの人間で、

だからそれにかかる紙と時間を
節約することが私なりのエコかな、
などと、
環境番組などを見ていて思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.02.01

爪に粘土、おっきい人に身を任せ。

知らぬ間にまた自分を大切にし過ぎていた。

どうも何かに一生懸命になりすぎると
自分の考えや思いなどを大切にし過ぎてしまって
物事を客観的に見れなくなってあかん。

私の中の理想では、
自分は何か将棋の盤の上の駒の様になって、
よくわからないおっきい人の采配に
自分の動きを任せるのがいいのである。

リターンを期待する程のことを
こちらからもちかけてはあかんのである。
角なら角、銀なら銀、歩なら歩の働きをすることにこそ
時間と気力を使いたいのだと
思う今日(こんにち)。

おやじか私は。


爪を伸ばしている。
ねいるに行くのだ、ねいるに。
おやじではないのだ女子なのだ。はは。
友人に誘われたので二月のいつかに行くのだが、
いつに行くかわからないので、
いい感じの長さに伸びた爪を
がまんできず先ほど切ってしまった。

私の場合、爪を伸ばすと粘土が詰まるという、
芸術系大学彫刻科出身特有の恐怖心から
もう爪が伸ばせない身体になっているのである。

スカルプチュアはあのわざとらしい感じが嫌なので、
拒絶反応を示す身体で爪を伸ばすしかない。
日々伸びゆく爪を見ていると、
時折、爪にびっしり詰まる粘土を想像してしまい、
目眩。
多難。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アルケ忘却アドバイス。

なんでも一人でやってたら
神経質になりすぎるんちゃうかと思う今日(こんにち)。
SBIホールディングス北尾吉孝さんはその日の運の強さをみるのに
ソリティアをするのだという記事を本で読んだ。


私は名越康文という人に興味があって、
ココラボというのに登録している。

ココラボでは、なにかたくさんの質問に答えると、
アルケという自分の基本となる性質を教えてくれ、
さらに自分がしたい時に簡単な質問に答えると
その日の自分に強く出ているアルケを教えてくれ、
一言アドバイスをくれる。

アルケは
「闇の錬金術士 エンネア」
などという様に、
なにか守護神というか、妖精めいたものによって表され、
その日の一言アドバイスは
その妖精によってもたらされる。

ココラボではアルケを知り本当の自分を知るのだそうだが、
北尾さんのソリティアエピソードを知って以来、
私も何か判断する時の道しるべとして
この妖精の助言を活用すれば良かろうと
目論んでいた。
しかし

「流し目がセクシーです」
「キャンプに入隊」
「気がつけば夜」

等、妖精のアドバイスがあまりに気まま過ぎるので、
時々携帯を投げるほど腹立つし
道しるべの時なんぞには
アドバイスなど忘れている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »