2009.09.03

スポン人

090828_085401

この写真は一体なにか?
一見してわかるだろうか?(わかるかもな)
なんとビニール袋パンパンに詰められたスポンジである。

なぜこんなに、袋はち切れんばかりにスポンジが
詰まっているかと言うと、
詰め放題をやったのである。
スポンジの詰め放題。
一週間程前、心斎橋のハンズの前を通りかかったら、
やっていた。

断っておくが(なぜかはっきりと断っておきたい)、
私はスポンジが欲しくて仕方なくて、
もしくは必要でどうしようもなくて、詰め放題を
したのではない。
むしろ私は日々スポンジをそれ程必要としない
タイプの人間である。

しかし、そのハンズの前のワゴンを通りかかった時、
詰め放題をしている人達の、なにか楽しそうな様子。
なにかぎゅうぎゅう詰め込んでいるのに、
跳ね返ってきて仕方ないといったような様子。
その人達の、困ったような嬉しそうな顔。

楽しそうである。

そうしてtry。
一度は通り過ぎたのに、
わざわざ戻って来てtry。
この一袋で¥500。隙間という隙間に
スポンジをくちょくちょにして詰めた。

そうしてるうちに、ワゴンには次々に客が。
おそらく私もしていたのだろう。
詰めているのに
跳ね返ってきて仕方ないというような顔。

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2009.08.30

国視点


昨年、私の出身大学である京都精華大学
創立40周年ということで、
さまざまな記念事業を実施していた。

最近までその詳細を知ることなく過ごしていたが、
たまたま大学から届いた通信に目を通したところ、
オノ・ヨーコボアダムス等を招き
講演やライブ、パフォーマンスを行なう等していたようだ。

ああん。
もっと早くに知っていたらと思うことしきり、
同時にユニークな活動を行う母校に
更にしきりに関心し、
なお仔細に通信を眺めていたところ
吉本隆明のインタビュー映像収録DVD 無料贈呈
というのがあった。

はい、私、これゲットする。
そのような思いですぐさまゲットし拝聴する
(映像だけどなんだか拝聴という言葉がしっくりくるのだ)。

拝聴後、一つ、何か黒いしみのように私の心に残ったのは
吉村氏は彼の若き時代、
何よりも国や政治の在り方について
奔走したのだという事実だった。

「この国がどうなってゆけばいいのか?」
などということについて、私は真剣に考えたこと、
あったかしら?

今ある現状について、
「あれはいい」「これはあかん」。
そのようには考えることはおそらくしていただろう。

しかし、「日本という国がどのような国になってゆけばいいか」
などという視点では、考えたこともなかったのである。

嗚呼いい機会である。
そのような新たな視点を少し、
それをもって投票に行くのは、
おそらく悪くはないことである。

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2009.08.28

なんとなく「ついに」読む

なんとなく「ついに」という感じで
司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでいる。

司馬遼太郎の作品自体、私は読むのが初めてなのであるが、
言うなればそれは、ちょっとだけ恥ずかしいことなのである。

例えば漫画好きで僕、結構沢山の漫画を読んでいます、
みたいな人が、なぜかドラゴンボールだけは
読んだことがない。
そんな感じの恥ずかしさである。

避けてたわけじゃないのだけどサ、ただ読む機会がなかったノヨ。
みたいなことをちょっと誰かに言い訳したい。
だけど言い訳される側からしたら別にどうだっていいような、
ただ本人基準の王道にまだ手を出していなかったことへの
後ろめたさ、そういうのがある。
それが『なんとなく「ついに」』
なんて言わすのである。

しかしなぜ私がこのような後ろめたさを
感じなければならないのか?
それはおそらく内田樹氏のこの記事を読んだからだろう。

http://blog.tatsuru.com/2009/07/23_1024.php

特にこの部分である。

ー「司馬遼太郎を読むおじさん」たちは村上春樹を読まず、
「村上春樹を読むおねいさんたち」は司馬遼太郎を読まない
という興味深い非対称ー

むむむ。なんだか私、
このカテゴリーに収まるのが悔しい。
そのように思ったので司馬遼太郎を読むのである。

ところで読んでみて驚いた。
文体が、小気味よく美しい。
囲んだ雀卓の牌をそろえるときの
猥雑にして心地よい、
あの音を聞いているようである。

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2009.08.23

のーん。そうして今に至る。

今年、大阪府の教員採用試験が7月にあった。
高校・美術で試験を受けた、その結果が
8月12日に届いた訳だが不合格となっていた。

のーん。
府の教育委員会HPで受験番号が発表。
そこに番号を確認できなかった時、
とりあえずした行動がそれである。
手足を真っすぐに伸ばし床にばたりと倒れ込む。
それがのーん。

しばしのち、がばりと起き上がり
本当にないのかともう一度番号を確認する。
それが確実だとわかったとき、
再びのーん。

そうして今に至る。

実は来年に向けてもう動き始めている。
というか目標に対して何もしてないという状況が
落ち着かない、以外とそんな小心臓(こしんぞう)の
持ち主の私なので、まず
東アカの入学説明ガイダンスに足を運んだ。
これは、とっても通いたくないがその通いたくないという嫌悪感で通い、
もうこんなところ二度と来るか!というような様な気持ちで
はやばやと自分を受からせてしまうという作戦を
実行するための計画を立てるための行動である(なんのことや)。

さらに今年の筆記一般教養で出来なさ過ぎた英語と、
苦し紛れ過ぎた数学の勉強をはじめようと、
吟味の末良さげな参考書を購入した。

あと、ドラゴン桜読んだ(メンタルトレーニング)。

いい感じのスタートきっている、私。
来年は受かります(今年、惜しかったんです)。

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久しぶり、さらに「ぶり」

携帯の変換機能てあれ、気をつけなあきません。

いや何も、今になって気をつけなあかんと
気づいた訳ではないのです。
そんなことは随分前から気をつけなあかんと思っていたのであって、
それを今更になってことさら強調して
「気をつけなあきません(怒)。」
とか怒りまじりで主張するのは、
自分が思わぬ失敗をしたからなのでございます。

ある男性とメール。
関係としてはつかず離れずのなかなかいい仲、
大人の男女。
私、「友達と久しぶりの飲み会で、」
と送りたかった。
「ひさし」部分打って変換。
しかしそれ、便利な予測変換、
「久しぶり」ともう出ました。
嗚呼、それなのに!
私、気づかずそのあとに「ぶり」をつけ、
「久しぶりぶりの飲み会で♡」
となってしまった。

今どきチョケた女子高生でも言わん。
「久しぶりぶり」。
"大阪のおばちゃん検定"とかあって、
「我こそは!」と思う大阪中のおばちゃん達が集まっても
その内の一割が言うか言わんか。
それが「久しぶりぶり」。


嗚呼本日。久しぶりぶりに
ブログ復活。

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2009.06.03

軽アンチノミー体験

ブログの更新を怠っている。
別に理由はない。
パソコンを開くのすらおっくうだ、
そのような日が続いただけのことである。

別に忙しいという訳でもない。
勉強しなければ、と焦ってはつい寝ちゃうような感じの
甘い生活。
人から人へ、渡り歩くような毎日である。

新たな出会いは途切れることがない。
ここ最近、人との出会いに翻弄されている。
「以前から知っていた、けど今日初めて出会った。」
というような人との出会いも数多い。

そうしてそのような新たな出会いが増えれば増える程、
その出会いがもたらす好意に自分は応えられないと思う。
どの出会いにもいい顔をし過ぎて、いつか
「なんだお前は。」
と言われそう。

でも先に言わせて。
「なんだ私は。」
まずは自分が一番そう思っているのである。
だから
「なんだお前は。」
なんて言われてもチャラヘッチャラだけど、
出会う沢山の人に少しづつ嘘ついている気分。

本当に一人、というのでなくて
その沢山の人に嘘をついている気分、それが孤独、
そんな風に感じることがある。

だからきっと「自分だけは偽らないようにしよう」
なんて思う。
自分に嘘ついちゃったら孤独はなくなるかもしれないけど、
同時に心からつながれる人も本当にいなくなるもんね。

二律背反。アンチノミー。
そんな言葉、あったのね。体感。

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2009.05.20

休校中継

大阪府では豚インフルエンザで学校が休校になり、
生徒らはどうしているのかは知らないが(自宅待機ということになっている)
私はのんびりしている。

休校になって、生徒らは休みでも教員は普通に出勤である。
私は非常勤なので授業がなければいかなくてもよい。
けれどもあんまりのんびりしているのも大人らしくないな、
どこぞのだれかに怒られるんちゃうか、と思ったので、
ちゃんと仕事してるとこ見せたろ(どこぞのだれかに)、と思て
今日学校へ行ったら、
休暇を取っている先生も多かった。

しかし、誤解なき様言っておくが
先生らは「休みじゃ、休みじゃ」と言って
ほうけている訳ではないのである。
休んでいる生徒全員に状況確認の電話連絡、
週明けの学校の予定などでそこはやはり緊急事態的に
動いておるのである。
私についてもくれぐれも誤解なき様言っておくが
のんびりといってもやはりある程度猛烈に
勉強しているのである。

休みというと世間(というか姉)から
「いいなぁ先生わ。」
などと言われるのだが、
別に旅行にも映画にも行けないし、
行って生徒にばったり会って
「なにやってん。」
みたいなことになったら
「マズいよな」、
わりとそのような気持ちでもんもんと過ごしているのである。

とはいえこの休校中、よきことかな、
私にいたっては勉強がはかどっている。
ラッキィ。時間がまとまって落ちてきた、
やれるときは今しかない。
という気持ちが、集中力を増す。

家に帰ったら寝ちゃうから、と
ロッテリアで勉強(高校生か)、
帰ってきたらテレビ、
世界の車窓から」がやっている。

これ、いい番組やな。
いらんこと一つもいわない。
ただそうあるだけ、という番組。
そういう番組はめづらしい。

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2009.05.18

はい模試模試

今日、模試を受けにいった。
通称東アカ、東京アカデミー
第三回教員採用試験全国模試である。

模試などというものを受けるのは、
中学以来、あの懐かしの五ツ木のテストぶりである。
生意気にもその後は監督するほうで模試、
模試模試。そのようなものに関わってきたのである。

自己採点、4.5割の正解率。
まぁそんなもの。それ以上でも以下でもない今の私を
如実に浮かび上がらせる模試。
おそろしや。おそろしやである。


しかし自己採点していて思うに、
「間違う」って本当にイヤである。

美術、表現、今までの私という世界のいるところでは、
「問題」というものがあっても、
そこにはさまざまな答えがあるだけで、
間違いというものはなかったのである。
「問題」に対するさまざまな答え、
それにはマズい答えもある。上手い答えもある。
わかりにくい答えもある。あぁなんとも美しい答えもある。
しかし間違いはなかったのである。

しかしテストには「間違い」というものがありますな。
さまざまな答えがあるのではなく、
「正解」があるのです。

回答欄につくペケ。
間違うってつくづくイヤである。
ィヤになっちゃう。

正解したいというよりは、
間違いたくないという気持ちで受けるテスト。
受かりたいというよりは、
落ちたくないという気持ちで臨む試験。

似ているようで全然違う心持ち。
思うに私はトップをとるような人間ではない。
競争というものが苦手である。

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2009.05.12

未来は過去へさかのぼる

かつて自分が学んだ学校で教える立場になって、
もう既に四年目である。

教える年月が、学んだ年月を超したその年から
高校時代と同じ道をチャリで通う。
引っ越しして実家へ帰った私、
かつての通学路を現在、通勤路として通い、
日常の「タイムトラベル度」が増している。

「タイムトラベル度」とは、
過去をなにげに思い出し、
そのままなかなか帰って来れなくなる度合いのことである。

おそらく「タイムトラベル度」は、嗅覚や触覚の記憶によって
呼び覚まされる度合いが上がる。
チャリンコを漕ぐ、その時の風、空気の匂い、肌触り、
気温が、過去に結びついて、時間旅行。
なかなか帰って来れない。

しかし感じている風は、現在のものである。
私は20代ももう終わろうかという年頃、
過去をなにげに思い出し、なかなか帰って来れない
その頭はよく、現在の私を知っているのである。

自分のこれまでをたどり直しているようで、
まったく新しい人生を生きているような近頃。
今の自分が過去と強く結びつく度、
なにか大きな必然の中にいるような気になる。

それなのに未来は一歩先さえ見えない。
安定などしてないが、不安定でもない。
確かに進んでいる気はするが、
どこに向かっているかはわからない。

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2009.05.09

この文のはじめに戻る。

「あの子、風呂に入る時窓開けて、
出る時には閉めよるねん。」
いまいましげに母が言っていた。

なぜ風呂に入る時に窓を開けるのか。
それでは丸見えではないか。
と私は思った。

風呂場の窓を開けるよう言ったのは母である。
姉はそのいいつけを守っている。
しかし母が言ったのは風呂から出る時には、
換気の為に窓を開けなさい、ということであった。

姉は面倒くさいのかただ開けているだけである。
今開けたら肌が丸見える。
そのようなことは何も考えていないのである。
母がうるさく言うので
「はいはい。開けましたよ。」
そのようにして開けて、
出る時には閉めるのである。

換気もへったくれもない。
それを母が発見する。
そうしてこの文のはじめに、戻るのである。

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2009.05.06

ぴーあーるめらめら JR伊勢丹

言いたいことがうまく
言葉にならない。

男女のもどかしい恋心の話を
しているのではない。
日本語が英語で
うまく言えないのでもない。

言いたいことがうまく
言葉にならない。

何のことかと言えば面接練習、
教員採用試験の自己ぴーあーるの話。
わかりやすく簡潔に。
そんな人間ちゃうんです。


今日は同じ、
教用試験を受けるという友達の宅へ行って
勉強会。
面接練習なのである。

あぁ一人だと、
「今日もまた、何をしてたのかしら?」
というような勉強時間を過ごしていたのだろうが、
友人と一緒にダメ出しし合うことで本気。
ボッ。
わかりやすく火がつく。
心のどこかにあった羞恥心やけだるさみたいなものが
吹き飛んだ。

次週からまた一緒に
勉強し合うことを誓い別れる。
おのれの出来なさめらめら燃やして
がんばりましょう。友よ。

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2009.05.04

ゴーゴー美術館

久しぶりに美術館である。
国立国際美術館。

久しぶり、などと言ってるあたりで
もうあかんがな。
頻繁に。もっと頻繁に足運びぃな、展覧会。
あんた、先生やってんねやろ。
そのように私の中の厳しめの私、言う。
しかしそんな私に聞こえないように言えば、
久しぶりだからこそ嬉しいのである。
美術表現に触れる場。あははん。
そこにはものと空間がある。
動かない、揺らがない、具体的なもの。
手に持って、触れる、あ、美術館じゃ触っちゃいけないけど、
そうじゃなければ触れることのできる物体としての「もの」。
その物体として「ある」「もの」
をきっかけに「ない」「もの」を想起、
したり想像したり。
それやってるときものすごくにんげん。
私、にんげんやなて思う。

自分が美しい、と思うものにどれだけ真剣になれるか
正直になれるか、行動できるか。
気づけるか、大切にできるか、辛抱できるか。
そんなことを思ったのである。
国立国際美術館の「杉本博司 歴史の歴史」展
お勧める。
大袈裟と言われてもかまわんわ、でも私、
1人の人の「美」という感覚に触れた時、
すこぅし世界が動く気がする。
世の中が少し傾いて、
今まで見えなかったものが見える気がする。

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2009.05.03

水。水落ちてます。


たくさんの言葉も沈黙も
今目の前の人を理解するのには役立たず。

ふむ。
そうか。
理解しようとしてるのがもう
違うのやな、
と思って

待ったり爪をこすったり
テーブルの上の水、
じっと見たり。

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2009.05.02

子鬼、けあぱるで踊る。

更新を怠りがちである。

その怠ってるうちに、新しいことを初めている。
わかりやすい構図である。
何かを手放し何かを得ているのである。

わはは。わかりやすい。
私はわかりやすいヤツ。

しかしここにこのように書いてしまうことにより、
私の中でまた
「単なるわかりやすいヤツというわけではない」
というあまのじゃく(これ飼いならすのホントウニ苦労する)、
そのような子鬼、
「わかりやすいと思っている自分が大体において疑がわしい。」
そのような子鬼、
それが踊り出してしまうので、
今後わりと更新は怠らないのかもしれないのである。
すべては子鬼の踊り次第なのである(わけわからん)。


フィットネスに通いはじめた。
フィットネスといってもけあぱるである。
高齢の方が多く利用する富田林のけあ施設、けあぱる。
三十路手前の女がめちゃめちゃ若い。
そのような夢の場所である。

そこは通勤途中にあるので便利な上、
普通のジムなどより安く、
高齢の方向けなので指導員の方が親切丁寧なのである。
少し不都合なことと言えば、
毎回運動を始める前と終わった後に、
血圧を測らなければならないことくらいである。


サーフィンを始めようと思っている。

ウエットスーツを買うのに
お腹を引っ込めるべく
今日もけあぱるいざゆかん。

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2009.04.23

抜き差しして「ぶぁん」

あわて者という性分が自分にはあって。

それで人の話を聞いて、すぐ
「ふむふむ、この人の言っていることはこういうことか。」
とか
「なーる(なるほどの略)。そういうわけね。」
つってわかった気になる。

わかった気になって、
なっている最中にさらに話していると、
「え?あ、そういうことだったの?」
とか
「あ、だからか。なーる。ちょっと勘違いしてた、私。」
というようなことが頻繁。

で、その時、自分の頭の中で、
繋がってた線のつなぎ換えが
行なわれているような感覚、有り〼。

一旦抜いて、また差し直す。
テレビかビデオかなにかの配線やっているみたい。
あわててつないだ線を
「あ、ちゃうかった。」
つって繋ぎ直す。
うまくつなぎ換えができた時、
ぱっと頭の中に、その人の全体みたいなものが映って、
それまでは線だったのに、
急に像になって「ぶぁん」って頭の中に広がる。

それがいとおかし。

そうしていくらあわて者の私でも、
その像が見えたら、
「もうそれは間違いないな」、と思う。
なんとなくその像は確信に満ちていて、
話した相手との共感が成立したと安心できる。

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«テル。今何時。